名古屋交通概論4 ~沿線の足として。蒲郡線~

愛知県は西尾市、吉良吉田駅から、蒲郡市の蒲郡駅を結ぶ、小さな路線がある。


名古屋鉄道(以下名鉄)、蒲郡線だ。


今日はその路線を覗いてみることにしよう。


名鉄蒲郡線。吉良吉田~蒲郡の17.6㎞を結ぶ名鉄の路線である。

単線を2両編成の列車がとことこと走る、言ってしまえば「ローカル線」である。


吉良吉田で接続している西尾線と関係が深く、近隣では「西蒲線」と呼ばれているようだ。

今でこそ、吉良吉田~蒲郡の往復に徹しているが、2008年までは運行形態が「西尾~蒲郡」だったため、この関係は根強いのだと思われる。


沿線は三河湾を望み、愛知こどもの国や、西浦、形原、吉良温泉、競艇場などを有する路線であり、筆者も温泉にぜひ入りたい。


現在運行は朝ラッシュを含めて1時間に2本となっている。基本的に2両編成で、全列車でワンマン運転を行っており、ICカードは使用できない。

ワンマンといっても、駅で切符を買ってから乗るため、いわゆる「整理券発行機」は存在しない。最後に運賃箱に入れるのは、切符と乗り越し運賃になる。


そんな蒲郡線、時々ワンマン列車でなく、車掌が乗っているときがある。実は、ワンマン用の車両に予備が全くなく、検査に入ると別の車で入るしかなくなり、その車両はワンマン運転できないため、時々車掌が乗って車掌がアナウンスする列車がやってきたりするのだ。ちょっとありがたい。


また、オール単線のため、列車同士のすれ違いが全くできない

このすれ違いを行うことができるのは、三河鳥羽、西幡豆、東幡豆、西浦、形原、蒲郡。日中は三河鳥羽と西浦ですれ違いを実施している。朝はこれ以外の駅でも行うときがある。


しかし、平日の朝ラッシュでも時間2本レベルのローカル線である。これ以上増やせるか否かの話は後述するとする。どんな歴史を持つのか、少し覗いてみよう。


三河観光を振興するための路線として期待されて開通した蒲郡線、その歴史は結構古い。

名鉄の前身「三河鉄道」によって1936年(昭和11年)に全通を果たした。

そもそもは知立から碧南を経由し、吉良吉田(当時は三河吉田)から蒲郡へ抜ける、三河線の一部だった歴史があり、距離を示す表示(キロポストって言います)は、なんと知立駅からのものが残っていたりする

名鉄西尾線の吉良吉田延伸により、現在の形となる、西尾線蒲郡線一体の形がとられるようになり、路線の歴史的には現在に至っている。それ以降三河線との直通はなくなり、2004年に三河線碧南~吉良吉田が廃止となっている。


蒲郡線の姿を変えるきっかけとなったのは、1958年。三河湾が国定公園に認められたことだ。

これ以降蒲郡線は三河沿線の観光路線として躍進していくことになる。名鉄本線からの特急を蒲郡まで乗り入れするなどして、三河観光を名鉄が推進していったのだ。そしてその役割に蒲郡線は大役を果たしていたのだ。


ところが、好調もそう長くは続かず。

観光志向が変わったことで蒲郡線は観光路線としての役割を失っていく。新しいテーマパークなどが日本全国にでき始めたころだ。



蒲郡線は通勤路線への変化を余儀なくされる。



しかしモータリゼーションの波は容赦なく蒲郡線に襲い掛かる。

近辺を走る道路の整備がしっかりなされ、高かった自動車利用率にさらに拍車をかけた。もちろん、蒲郡線の通勤利用からは足が遠のくというのは誰の目にも明らかだ。


この期に及んで、JRがダイヤを拡充し始め、しかも所要時間も短いので、乗客はどんどん流れ、一気に蒲郡線は苦しい展開を強いられることになったのだ。競艇場への輸送もJRが「三河塩津駅」を開業させたことにより、それもまたJRにいくらか流れてしまったのだ。


現在にいたり、依然苦しい展開が続いている。



現状はどうなのだろうか。


私も最後の蒲郡線に乗ったのはいつだろうかというレベルなので大きなことは書けないものの、あの雰囲気はとっても好きだ。

単線でゆらりと行くのは一興あるし、三河湾、そして三ヶ根の山を望みながら言ったのを覚えている。

名鉄らしからぬワンマン列車は本当にのどかで、風光明媚ともいえる。

この、運賃箱があるワンマン列車は名鉄では広見線新可児~御嵩のみなので、貴重である。



だが、それではいけないのだろう。今や蒲郡線の主要な旅客は、通勤通学である。



路線を廃止し、バスへ転換する目安に、1日あたり乗車密度が4000人というものがある。


蒲郡線の輸送密度は、2005年で2857人/日である。


この現状を見て、名鉄社長はついに「存廃問題」を口にすることになった。


これを見て待ったをかけた沿線自治体。

沿線には車の運転ができないけれど、日々都心へ足を運ばなくてはならない人が当然いる。

そういう状況下において、名鉄が持つ公共交通への責任を問うたのだ。


詳しい経緯は省くが、結果として名鉄へ存続の支援金を西尾市と蒲郡市、そして県が補助する形で、総額2億5000万円出して、現在まで存続に至っている。


正直に言って、かなり苦しい。


蒲郡市の市民団体が立ち上がり、存続へ向けて懸命な運動を行っているが、現在でも状況が厳しいことには変わっていない。


では、何ができるだろうか。


まず、輸送の責任を名鉄に果たしてもらうべく、やはり朝夕のうちだけでいいので、蒲郡から名古屋方面に直通できる列車が数本ないとだめだろう。


ダイヤに関してはこれ以上の増発は少ししんどいところがある。現行列車に加えて、増やせてあと1本(時間当たり)だろう。

これは、蒲郡線が単線であることに起因する。すれ違いができる駅が吉良吉田側に偏っており、形原以東でのダイヤが混乱することになる。


なお、ホームの長さ的に3両編成までしか入れないので、2両編成の車両が線内を走り、吉良吉田か西尾で4両連結してしまえば、相応の輸送には耐えうるだろう。



次いで、沿線自治体も、三河観光復活へ向けた何かを起こさなくてはなるまい。


ここまで輸送が落ち込んでしまった以上、そしてモータリゼーションが進んでしまった以上、それを取り返すにはかなり限界がある。


ゆえに、沿線観光地帯を名鉄を使ったら割引になる、といった何かをしていかなければ、このまま苦しいままである。

通勤利用としての立ち位置だけではやっていけない。沿線自治体の人口減にも話は及ぶことになるのだが、やはりよそ者の利用が増えるのはいいことである。


あとは、とにかく乗ることである。


市バスの県営名古屋空港延伸の時にも、私は狂ったように乗ったものである。


実績として、客が乗っていれば、無用に廃止にするわけにもいかない。

だから、通学利用、通勤利用、とにかく使っていかなくては、そりゃあなくなる。


普段使わないのに、「廃止するなんてひどい!」は、少し話が違うのだろう。


存続していきたいのなら、それはもう、とにかく乗ることである。沿線も、よそ者も。


収益の上がらない路線は、企業としては削るのが一番いいのはその通りである。

そりゃあ赤字を切ったらその分黒字になるからだ。


蒲郡線は、廃止への降格ラインにいることは紛れもない現実である。


しかし、これだけ現実をきつく書いたが、改めて風景を思い出すと本当にいい路線だ。

乗客の顔はみんな優しかった。

吉良吉田の駅員は優しかった。


また、三河湾を望むその景色は、名鉄でも有数の景勝路線なのは間違いないだろう。

そして、これほど観光地が集まった路線も、そんなに多くない。


名鉄蒲郡線。皆さんも一度足を運んでみてほしい。

厳しい現実と、そんな背景があるとは思えないほど、のんびりと、そして自然と、様々なものがある路線なのだから。



※参考資料

Wikipedia 「名鉄蒲郡線」(2017.5.8最終閲覧)

名鉄時刻表(Vol.25) 名鉄西尾線、蒲郡線 時刻ページ

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